gazou

当方、ばっちりアラサーなのである。
つまるところ、周囲の友人たち・同僚たちはどんどん結婚していっている。
私は、何よりも、彼女らの苗字が変わることが、寂しい。

苗字というのは、別に生まれてきたその人の顔を踏まえて「こんなイメージ」と与えられるものではない。
でも、やっぱりその人の一部だと思う。
数えきれないほど呼ばれてきて、
数えきれないほど答案用紙やら申請用紙やらに書いてきたはずの、名前。
もしかしたら、その苗字との組み合わせのバランスで、その人の下の名前が決まったのかもしれない。
それが、たった一枚の紙を提出するだけですっぱり終わってしまうのが、ちょっと切ない。

きっとこのことが嬉しいという人もいると思う。こうして家族になったのだ、と。
ついに新しい一歩を踏み出した、という実感になるのかもしれない。

でも、やっぱり、私はちょっと切なくって。
役目を終えた旧姓たちは、どんな気持ちなんだろう、
旅に出ようと思ったりするのかな、と考えたりしてしまうのであった。

そんなわけで、本日のテーマは「名前」(※ただし、上の名前に限りません)。

堆塵館

エドワード・ケアリー作、古屋美登里訳、の、小説。もともとは十代の少年少女向けに書かれたものだそう。
三部作のうち一作目です。現在、二作目まで和訳された本が販売されております。
まずは、あらすじ(東京創元社のページより引用)。

ロンドンの外れの巨大なごみ捨て場。幾重にも重なる山の中心には『堆塵館』という巨大な屋敷があり、ごみから財を築いたアイアマンガー一族が住んでいた。一族の者は、生まれると必ず「誕生の品」を与えられ、一生涯肌身離さず持っていなければならない。十五歳のクロッドは誕生の品の声を聞くことができる変わった少年だった。ある夜彼は館の外から来た少女と出会った……。
この言葉を安易に使うとばかっぽくなってしまうのでなるべく避けたいのですが、でも使わざるを得ないときもあるので使いますと、この物語の魅力は「圧倒的世界観」にあるのであります。そしてその世界観の重要な鍵になっているのが、「名前」。
 
例えば、登場人物の名前。訳者あとがきにはこうあります。
この作品の魅力として、真っ先に挙げたくなるのは、〔中略〕アイアマンガー一族の風変わりな名前である。
〔中略〕いわゆるイギリス的な名の母音や子音が少しだけ変えられていて、耳にしたことがないような独特な音になっている。
〔中略〕その本の一例として、次のようなものがある。

 

 Harriet(ハリエット) → Horryit(ホリイト)
Claudius (クラウディウス) →Clodius(クロディウス)
Edward(エドワード) → Idwid(イドウィド)
Tomas(トーマス) → Tummis(タミス)
Albert(アルバート) → Olbert(オルバート)

 

英語圏の人々、とりわけ子供たちは、この作品を朗読したり、登場人物の名前を口にしたりするたびに、その音とおかしな意味にくすくす笑ったり、元になっている名前に思いを馳せたりして愉しむことができる。
 
こういうエピソードを読むときほど、「原書が母語で、すらすら読めたらー!」と地団太踏むときはありません。
ちょっぴり間抜けな、でもかわいい響き。
人間には、黙読するとき頭で音読している人とそうでない人がいるそうで、私は完全に前者なのですが、
だからこう思うのかもしれませんが、「読書が音楽鑑賞になる本ってあるよなあ」と考えてしまう一冊です。
ちなみに、私のお気に入りの登場人物の名前は「ピナリッピー」。

性格は最悪ですが、名前の効果で憎めないような気がしてくるから不思議。

 

あるいは、「誕生の品」の名前。物語を読み進めるうちに、だんだんとただの品でないことがわかってくるのですが…、とにかく一旦はブツなのです。ほとんどの人の誕生の品が、なんてことのないもの。

主人公クロッドの誕生の品は、浴槽の栓。
主人公のいとこの誕生の品は、蛇口(「HOT」の方の)。あるいは、じょうろ、ドアの把手、傘…。
しかし時には、マントルピース(暖炉の周りの装飾、もしくは暖炉そのものの意味)なんて大物が指定されちゃう人だっています。それと四六時中一緒にいなくちゃいけないとなったら…、うーん一大事。

当然、自分だったら何が与えられるかな、と、考えますよね。『バトル・ロワイアル』を読みつつ、自分だったらどんな武器が、あるいは防具が、与えられたのか、考えたのとおんなじように。

これらの誕生の品、主人公には彼らが自らの名を叫ぶ(ときには囁く)のが聞こえるのです。
名前があるってだけで、物って突然愛しく思えてきませんか?
学生の頃とか、物に名前を付けませんでした?
何を隠そう、元吹奏楽部員の私は、自分のホルンを「力石」って呼んでいました。
名前を付けるのってきっと、「この世にまた一つとない感じ」に輪郭を与えたいから、ですよね。名前があると特別な存在になる(○ェルタースオリジナルかいな)。

 

なお、2017年12月に邦訳版が発売される予定となっているシリーズ第三作目のタイトルはLUNGDON
仮の邦題は『肺都(ラングドン)』)。
当然、LONDON、ロンドンをもじっているわけですが、このへんてこりんで、不気味な響きがたまらない。

 A子さんの恋人

先ほどとは打って変わって、「名なし」の人々が出てくるのがこのまんが。近藤聡乃著。

29歳――半人前の大人たちが繰り広げる、問題だらけの恋愛模様。

29歳のえいこさん。誰といっしょになるとか、どこで暮らしていくとか――そろそろ決めなきゃいけない問題も増えてきた。とはいえ、答えなんてすぐに出せない(出したくない!)わけでして……。〔中略〕恋人・友達・家族と絡まりあう29歳女子の日常描写は、連載開始から「リアル過ぎる」、「“あるある”の連続!」と話題騒然。そう、この漫画の中には、あなたも、あの子も、あいつもいるのです。

こちらのあらすじでは「えいこさん」と書かれている、A子さん。
湯呑だったかコーヒーカップだったか・・・、とにかく食器に名前を入れてもらおうと、
「えいごのえいに、こどものこでお願いします」とカウンターで頼んだが最後、
「英語のAに子供の子」で、「A子」と名入れされてしまい、そこから作中ではずっと「A子」と表記されるのです(つまり、彼女のほんとの名前は英子さんなのです)。これに味を占めたA子さん、友人の「ゆうこさん」と「けいこさん」にも
「U子」「K子」の名入れをした食器を贈ります。
こうしてこの物語に出てくる登場人物は、一気に記号になる。

 

彼女らの住んでいる場所も、働く様子も、
どのように性格が悪いかも家族がどんな人なのかも丁寧に具体的に描かれるのに対して
名前が記号のようだから、いびつな作品世界が立ちあがって面白い。「優子」と「夕子」では、印象ってまったく違いますよね。
学生時代に履修していた授業で、日本語の文化は「文字」を重視する文化だと教わりました。
だから、たぶんテレビにやたらテロップが付くのだと思うんですよね。

※反対なのがアラビア語の文化圏で、暗誦することが重んじられるようですよ、私の記憶が正しければ。

で、この「文字が重視される」ということ、たぶん、表意文字を持っている文化圏の宿命なんだと思うのですよね。
この作品は、(漫画だというのもありますけれど)先の「堆塵館」とは逆で、「音読じゃだめ」な作品なんです。文字があるからこそ成立する面白さ。

 

同じく学生時代に履修していた授業で
「音を持たない言語はないが、文字を持たない言語はある」という話を聞きましたが、
音と切り離された、文字の独立で広がる「ことば」の世界を垣間見ることができるような、そんな漫画です。



シンプルな線なのに、色気・ユーモア・恐ろしさがこれでもかと表現されていて、レトロなのか新しいのかわからなくなる画風も、大好き。

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