gazou

私は、準公務員的な性質を帯びている仕事をしているのだけど、しばしば初対面の人に妬み混じりの羨望をぶつけられる。
「あれですか、17時になったら即退社って感じですか」。
その、業務終了時間で大変さをはかろうという感覚が、もう、嫌だ。大変だから偉いという価値観が生き生きしている感じも、嫌だ。

「アンチお役人」派閥の台頭を許しているのは、そのステレオタイプを助長するフィクションだと思う。今日紹介する「生きる」から「箱入り息子の恋」まで、何十年も経っているのにその構造は変わらない。事務職がとりあげられる作品では、とかく、「手段は選ばずに、自分の仕事を増やさないように心血を注ぐお役人」が描かれているのである
(まあ、火のないところに煙は立たないってことでしょうけどもね)。
で、「役人ってのはみんなそんな姿勢で働いてるんだろ!だからわけわからんシステムは維持されたまま、つまり仕事はまったく終わっちゃないってのに、てめえら早く帰れるんだろ!」っていう、ステレオタイプ的お役人へのが呪詛がふつふつと煮え立つ。

ちーがーうーだーろーちがうだろ!
(大森靖子さんは、あえて古くなるために「今っぽい」言葉を歌詞に入れているそうなので、私も見習ってみました)

注目すべきなのは、「早く帰れる」点じゃなくて、「なんで早く帰れるか」じゃない?
量られるべきは「どのくらい早く帰りたがってるか」じゃなくて「早く帰るために、どうやって無駄を減らそうとしてるか」じゃない?
なんだって質的に量るのは難しい、仕事においても、量的な大変さを無視することができないのはわかる、
でも、「量りやすい」ものだけで自分より高いか低いか決めてしまおうとしているうちは、我々はガラスのカースト制度から脱出できないし、結局、憎くてしょうがないその「仮想役人」同様の思考停止に陥っちゃうんじゃない?

・・・まずは「色眼鏡で人の仕事を見る人ばっかり」というステレオタイプから自分が脱さないと、こんな偉そうなことは言えないんですけどもね。

今日のテーマは「お役所仕事と映画」!裏テーマは「他人に向けた刃はすぐ自分に返ってくる」。

箱入り息子の恋

今をときめく星野源主演のラブストーリー。ヒロインは夏帆。彼女は「みんなエスパーだよ」のヤンキー役が好き。って、脱線しました。とりあえずamazonからストーリーを引用。
 
自宅と職場の市役所をただ行き来する日々を送っている天雫健太郎(星野源)は、内気で愛想がなく、 唯一の趣味はペットのカエルだけ。見かねた両親は親同士が婚活する“代理見合い”に参加し、今井家の美しい一人娘・奈穂子(夏帆)とお見合いするチャンスを掴んでくる。実は彼女の目がまったく見えないとは知らずに・・。それでも奈穂子と初めての恋に落ちた健太郎。「好き」という感情を一気に爆発させる彼だったが、行く手には思わぬ障害が待ち構えていた――。 

ほらみろー!代わり映えのない日常を送っていることを描写するために、彼は市役所勤務に設定されてる(大いなるやさぐれ)。
天雫さんは、真面目に働いているけど昇進試験なんかは受けていなくって、「新人がやるような仕事しかさせてもらえていない」。ということを、菜穂子の父(それなりの規模の会社の役員だった、たしか)に責められる。

「嫌いな人のことがなんで嫌いなのか考えて考え抜いたら、畢竟、同族嫌悪だったと気づく」というようなことを、菊地成孔さんがラジオで言っていたから試してみましょうか。私が菜穂子のお父さんにいらだっているのはなぜかよく考えると、「さぼらずに毎日決められたタスクをこなすことが、一番楽なのは自明。しかし、楽してていいのか」という気持ちを、知らないうちにお父さんと共有してるからじゃなかろうか。「さぼった分をどうしようか」なんて考えないのは実は進歩がないかも知れず、実のところ「上手にさぼれる」人が一番有能なんだよな。でもこれを認めてしまうと、自分が生きづらくなる(こちとら、意欲関心態度で、乗り切ってきたんじゃ、人生)。
NARUTOで、「ペーパーテスト、と見せかけて、いかにうまくカンニングできるかが真の課題である試験」のシーンがあったと私は記憶しているけど、つまりあれは、教室の中だけのお話じゃなかった。

お父さんの言葉を聞いた日、帰宅後に天雫さんはかつてないほど荒れるのだけれど、それはたぶん、心の中の自分がお父さんに完全に同意してたから、なんだろうな。

私は、菜穂子と天雫さんが2回目に牛丼屋に入るシーンが大好きなので、ぜひそちらにも注目してみてください。

生きる

黒澤明監督作品、なんて書くのは野暮かもしれない。

胃がんで余命幾ばくもない主人公(ありがちな設定だけど、今は、書いていて辛い)。それまではのんべんだらりと役所で働いていたけれども、若い女の子と社交場に繰り出してみたり、市民の期待に応えるべく奔走したり…というストーリー(まとめ方が適当すぎるけれども、許してください)。

まず、事務職ネガティブキャンペーンを展開したい諸兄は、この映画の、「役所でたらい回しされる怒れる市民」のシーンを延々上映するのがよろしいでせう。例外的に行動的な役人が描かれる映画のはずなのだけれど、私はこのシーンばっかり覚えている。

セクショナリズムの妖怪、我が職場は、このシーンを笑えない。
なんでたらい回しが生じるのかというと、それについての知識がないからということ以前に、たぶん、当事者意識がないからだ。私は職場の人が「それって私の仕事なんですか?」と言いはなったとき、この人のこととても嫌いだなとはっきりと思ったのだけれど、それはきっと、「私も何度もそう考えたけど外には出さずに飲み込んできたから」だ。

でも、自分の守備範囲を広げないように広げないように努力を積み重ねるとたぶん、私はいつかそこにいてもいなくてもどちらでも良い人間になる。いつでも誰かに代替可能な存在になる。それは、悔しい。

たぶん、この映画の主人公の渡辺課長が、市民の念願である公園づくりに心血を注いだのも、「人のため」だけじゃないと思う。自分がいなくなったとき、少しでも多くの人が悲しんでくれる人がいてくれたら嬉しいという気持ちが、心の片隅にでもあったんだと思う。
でも、きっかけが「承認欲求」だったとしても、守備範囲を広げる勇気を持った渡辺課長は、やっぱり尊いと思う。

損得勘定の先にあるものを信じて、働けたら、もっといえば生きられたら、どんなに清々しいだろうと思う。

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