休み休みつらくてもいいじゃんか:『岡崎に捧ぐ』
私は、私だけがつらいと思いたい。 他の誰よりも私がつらいと信じたい。 私のつらさについて話してもどうせわかってもらえないから(というか、向こうが「わかるよ」というのがいまいち信用できないから)人に話したくはないけど(というか話してはいて、その度に「やっぱりだめだった!」と敗れ続けているけど)、なんか、寄り添ってもらった、って実感がほしい。 …というときに読むべき漫画が『岡崎に捧ぐ』である。 昔、妹 […]
仲良しじゃない人と共有する、輝く時間について:『ハレ婚。』
「非イスラム教徒の日本の人が、一夫多妻制度をやったらどうなるんだろうなあ」とは、やっぱり考えるのであって、そんな思考実験を漫画にしてくれている(たぶん)のが、『ハレ婚。』である。 家族について考えさせられる作品だということで読み始めたのだが、読み進めるうちに共通するものがあるとひらめいたのは、意外にも、『SLAM DUNK』だった。 私の人生の目標として、私のことをいいと思ってくれる人とばっかり付 […]
無臭の恋人を抱き締める:『青野くんに触りたいから死にたい』レビュー
あれほど、物語で容易に人を殺すなと言っただろう。どうして冒頭で早速青野くんは死んでしまうのか。なんで恋人ができて2週間で、交通事故なんかで死んでしまうのか。どうして彼女にとっては初めての彼氏なのに、死んでしまうのか。私は怒っている。 青野くんはこの世に留まり、引き続き優里ちゃんと恋人の時間を楽しもうとする。一緒に歌ったり、家で映画を観たりする。じゃあいいじゃん、めでたしめでたし…とは、ならないよう […]
いつ気づいた?大人だって:ラースとその彼女
主演ライアン・ゴズリングの話題作、「ララランド」のDVDが出たからでしょうか、 某ネット動画視聴サービス31日間無料視聴期間中にずっと観たかったこの映画が追加されていたので、 光の速さで観ました。 最初はうふふと一人の部屋で笑っておりましたけれど、途中で「ラース・・・」とぼたぼた涙し ふわーと幸せな気持ちに包まれて終わりました。愛にあふれた素晴らしい映画! ということで、熱の冷めやらぬうちにレビュ […]
旧姓たちのゆくえ
当方、ばっちりアラサーなのである。 つまるところ、周囲の友人たち・同僚たちはどんどん結婚していっている。 私は、何よりも、彼女らの苗字が変わることが、寂しい。 苗字というのは、別に生まれてきたその人の顔を踏まえて「こんなイメージ」と与えられるものではない。 でも、やっぱりその人の一部だと思う。 数えきれないほど呼ばれてきて、 数えきれないほど答案用紙やら申請用紙やらに書いてきたはずの、名前。 もし […]
フリーズドライド役人譚
私は、準公務員的な性質を帯びている仕事をしているのだけど、しばしば初対面の人に妬み混じりの羨望をぶつけられる。 「あれですか、17時になったら即退社って感じですか」。 その、業務終了時間で大変さをはかろうという感覚が、もう、嫌だ。大変だから偉いという価値観が生き生きしている感じも、嫌だ。 「アンチお役人」派閥の台頭を許しているのは、そのステレオタイプを助長するフィクションだと思う。今日紹介する「生 […]
ひさかたの大往生
おじいちゃん、今日、明日が山かもしれない、と母から連絡が入ったから病院に向かった。 「90年以上使ってきた心臓だから、仕方ないんです」と医師は話していたそうだ。それはそうだろう。私は納得する。 「およそ20歳代と思われる方にも年齢確認を実施する場合があります」と、近所のスーパーともコンビニとも言いがたい店は張り紙している。私は「完璧な」20代だから、なんらかのアルコールをレジに持っていっても、もう […]
2nじゃない人のためのエアポケット
私は、大学の2回目の卒業パーティーに、行かなかった。 やや変則的なカリキュラムに従っていた私は、学部を卒業した次の年に修士課程を終えた。そんなわけで、2年連続で卒業式に出た。 2回目の卒業式のとき、同じ年に学部生になった人のうち、留学や留年でストレートより1年遅れて卒業する人たちで卒業パーティをする、という話を聞いた。出席していれば私にとって2回目の卒業パーティだったけれど、親切な人が誘ってくれた […]
額縁に入れたい刹那
お気に入りのシーンがある物語は、それだけで読んだり観たりした意味があると、私は考えています。 最近、人生って案外、「お気に入りのシーンを集める作業」なのかなって、思ったりするから。 自分が経験したことでも、人から聞いたことでも、疑似体験したことでもいい。 夜の大学で、体育館が、まるで巨大なウーパールーパーでも幽閉しているかのように白く、ぼんやり光っていたこと。 旅行から帰ってきて、一人暮らしの借り […]
いいじゃないか、つくりものの世界ならどれだけめちゃくちゃに壊したって
決して穏やか、とは形容しがたい性格を持つ友人と、彼女行きつけの割烹で飲んでいたとき(私は同じ年で行きつけの割烹がある人を他に知らない)、彼女は、山羊のキャラクターを操作して家も畑も街も好きなだけめちゃくちゃにすることのできるゲームがあるのだと教えてくれた。 彼女がコントロールする山羊が、テーブルや椅子やにんじんやきゃべつや、何かの集会をめちゃくちゃにしても、彼女は毎日通勤電車に乗って、二人しか社員 […]
排他的な人々を呪う排他的な私
私がまだ10代だったころ、同級生に、お母さんかお父さんが外国の方だという友人がいました。友人は珍しい名前を持っていて、それは知的な響きで本人によく似合っていて、何度でも呼びたくなる音で、いいなあと私は思っていたのです。 ある日、「でも苗字がね、ちょっとA(友人)のイメージと違うんだよね」と私が言ったら、友人は「日本語の苗字は、本当の苗字じゃないからね」というような回答をして、曖昧に笑いました。 […]
忘れられてもなくならない、子どもの私は、ずっと。
かつて、職場の同僚に「過去に戻りたいと思うことはある?」と聞かれたことがあります。 母が病気でなかった頃には戻りたい気持ちもありますが、基本的には私、「戻りたくない」派です。 今の自分が、私の人生史上一番いろいろ知っていると思うから。 とりわけ、小学生の頃にはまったく戻りたくありません。 見た目のだささ。内面の残酷さ。つまらないことでしかつながりを確かめられない友人関係。 今だって決して聖人ではな […]