おじいちゃん、今日、明日が山かもしれない、と母から連絡が入ったから病院に向かった。
「90年以上使ってきた心臓だから、仕方ないんです」と医師は話していたそうだ。それはそうだろう。私は納得する。
「およそ20歳代と思われる方にも年齢確認を実施する場合があります」と、近所のスーパーともコンビニとも言いがたい店は張り紙している。私は「完璧な」20代だから、なんらかのアルコールをレジに持っていっても、もう年齢確認されることはない。祖父は90代に関しては若葉マークだが、おじいさんのベテランである。20年前だって、彼はおじいさんだった。
祖父の収められた白い病室には、他にも何人かのおじいさんたちがいる。彼らは十分におじいさんだから、臥せっていたってまったく自然で、だから今のところ、悲しい気持ちにはならない。むしろ清々しさすらある。目の前の山を越えたって、遠からず終わりを迎えるであろう人々だけれど(なんて言ったら怒られるかな)、彼らの周りの空気は明るい。
「今日、明日」を越えたけれど、祖父の心臓は動いている(誤解をうむ記事タイトルで、すみません)。額に手を当ててみると、温かくて少し湿っている。しわやしみは無数にあるけれど、老人の肌は案外滑らかなものだな、と私は思う。
今日ご紹介するのは、老人が登場する2作品。どちらも小説です。
恍惚の人
言わずもがな、認知症のお年寄りの変遷を見つめる家族を描いた、金字塔的作品。有吉 佐和子著。
おじいさんが、自らの排泄物を畳になすりつけるシーンを初めて読んだとき、老いることはなんて恐ろしいことなんだと衝撃を受けました。認知症になると、人間じゃなくなっていってしまうんだろうか、と。今も、中身が少しずつ流れていってしまったような祖父を見ると、複雑な気持ちの方が大きいです。
ただ、今回この作品を取り上げたのは、若者の話がしたかったから。
主人公の女性が、自身の年若き息子が、老人と自分が地続きだとはまったく考えていないことにはっとするシーンがあるんですね、私の記憶が正しければ。これを読んでから、「圧倒的に若い」とは、「自分の行く道がおばさんやおばあさんにつながっているなんて、想像もしないこと」なんだろうな、と考えるようになりました。
私の職場の後輩で、あっけらかんと「おばさん」と口にできる子がいるんですね。これを聞くたび、「ああ、この子にとって、自分とおばさんは完全に切り離された存在なんだな、すごいな」とため息が出ます。
わが悲しき娼婦たちの思い出
30歳だと許されないけど90歳だと許されてしまう気がするのはなぜだろう。本物の「一生のお願い」だからか?
ストーリーというよりも、印象と、各所に隠されている金言を楽しむ本だと、私は考えております。例えば、こんな言葉。
これは娼家の女主人がおじいさんに語りかける言葉だったと思うのですが、
90歳のおじいさんにお説教しちゃってるるわけですから、
人の成熟は年齢でははかれないのだということを噛み締めますね。
昨今の日本では下手したら発禁になりかねないテーマの本ですが(いや、本だからならないか。漫画ならなりそう。極めて恣意的な仕分け!)、不思議と湿り気はなく、からっとした明るさがあります。この本のイメージカラーを決める会議に出席できるなら、私は白を推します。
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