gazou

決して穏やか、とは形容しがたい性格を持つ友人と、彼女行きつけの割烹で飲んでいたとき(私は同じ年で行きつけの割烹がある人を他に知らない)、彼女は、山羊のキャラクターを操作して家も畑も街も好きなだけめちゃくちゃにすることのできるゲームがあるのだと教えてくれた。
彼女がコントロールする山羊が、テーブルや椅子やにんじんやきゃべつや、何かの集会をめちゃくちゃにしても、彼女は毎日通勤電車に乗って、二人しか社員がいない忙しい部署で深夜まで働いて、通勤電車か、時にはタクシーに乗って、毎日自宅に帰っている(時々朝まで飲んだりすることも、あるようだけれども)。

つくりものに後押しされる破壊衝動があることを、私は否定しない。
でも、つくりものにぶつけることでなんとか成仏する破壊衝動があるということを、否定しないでほしい。

葛城事件

赤堀雅秋監督作品の映画。例によって、公式サイトからストーリーを引用してみましょうか。

親が始めた金物屋を引き継いだ清は、美しい妻・伸子(南果歩)との間に2人の息子も生まれ、念願のマイホームを建てた。思い描いた理想の家庭を作れたはずだった。しかし、清の思いの強さは、気づかぬうちに家族を抑圧的に支配するようになる。 長男・保(新井浩文)は、子供のころから従順でよくできた子供だったが、対人関係に悩み、会社からのリストラを誰にも言い出せずにいた。堪え性がなく、アルバイトも長続きしない次男・稔(若葉竜也)は、ことあるごとに清にそれを責められ、理不尽な思いを募らせている。清に言動を抑圧され、思考停止のまま過ごしていた妻の伸子は、ある日、清への不満が爆発してしまい、稔を連れて家出する。そして、迎えた家族の修羅場…。葛城家は一気に崩壊へと向かっていく。

このストーリー描写はどことなく清の肩を持っている風で伝わりにくいと思うのですが、
(そしてそれに私はちょっと腹を立てているのですが)、
この映画、一言でいえば「くそおやじ映画」なんですね。
清は自分中心に世界が回らないと気が済まない男。
大声を出して威嚇し、力づくで人を下に置こうとする。
それが「気づかぬうちに家族を抑圧的に支配するようになる」とかって言葉でまとめられちゃあね、
かないませんよ。
・・・いかんいかん、冷静にならないと。
前々から観たいと思っていた映画なんですけど、それがなぜかといえば、
くそおやじに(間接的かもしれないけど)罰が当たる映画のようだったからです。

上記のストーリーは、作為的ですみません、実は途中から引用しています。
ストーリーのページの冒頭に書かれているのは、以下の文。

普通の家族が、なぜ崩壊し、無差別殺傷事件を
起こした死刑囚を生み出してしまったのか

いやいやいや、と。私は言いたいです(結局冷静になれない)。
「この映画を観て、『普通の家族』だと思う人、いるんですか」と。
父親によって敷かれた家族内絶対王政に苦しんでいる人間(私含む)の多くは、
「自分の家は普通でない」、と思っています(私調べ)。
対話可能型の父親を持っている人の少なからぬ部分は、
「父親を毛嫌いする人が世の中にはいるようだが、その気持ちはよくわからない」と思っています(私調べ)。
そうして残念なことに、父親事情のみに限らず、ですけれど、
「自分の家は普通でない」と思っている人の方が、
どうやら、世の中には多そうなんですね(しつこいようですが、私調べ)。
「普通の家族」なんて、ほとんどツチノコみたいなもの、のようなんです。
でも普通の家族の方が多い、みたいに世間(と我々が信じる「何か」)は言い張る。
だから「普通でない」と思う人の孤独は深まる。

いや、監督のインタビューなどを読んでいると、意図も少しはわかってくるんですね。
この映画の原作は、舞台なんだそうです(舞台版では監督が清を演じていたらしい)。
舞台版では、「あるサイコパスによる、殺人事件」といった形の描写だったそうです。
映画版ではそうじゃなくて、
「こういう事件は、遠いところの話に思うでしょう。
でも本当はそうじゃない。自分たちの生きている地平とつながっている」
という仕上がりにしたかったようなのです。
それが「普通」という言葉で表現されているようなのですね。

この映画を観ていると、
抑圧される稔に「わかるよ」って、言いたくなる。
「どうしてこんなにこの父親は、自分ばっかり偉いみたいな物言いなんだろうね。
本当は自分だって大したことないのにね。
なのに、どうして父親の家族は、この人に従って存在しているんだろうね。
なんでこの人のことがすごく嫌いなのに、同じ血が流れているんだろうね。
そして、自分でも嫌になるほどこの人にそっくりな血の気の多さで
人にいらいらしたりかっとしたり、しちゃうんだろうね」

映画の中の稔はあんなにたくさんの人を殺めたのに、
一番罰があたってほしかった父親・清は、
しかし、というべきか、やっぱり、というべきか、
ちゃっかり生き残って麺なぞすすっています(くそ、ふざけんじゃねえ)。
ここで「くそ、ふざけんじゃねえ」って思う人の方が多い世の中が普通なら、
ちょっと、絶望しかないですよね。
あ、孤独っぽい雰囲気を醸す清を見てかわいそうだと思われたそこの優しいあなた、
お願いですからうちの父親を永遠に引き取ってください。

ということで、ここで我々が得る教訓は
「憎しみをたっぷり貯め込んで、ここぞとばかりにおろしてつぎ込んでも、
こういうくそおやじは生き残るから意味ないよ」ということです
(つくりものによって成仏する破壊衝動の話だったはずでは・・・)。
あと、もう一つ。
「自分が普通じゃなくて被害者な気持ちになったからって、
それを特権みたいに思って、加害者になっちゃだめだよ」ってことですかね。
呪われた血が流れる身を持つ者として、自省の念もこめつつ。

憎しみがフィーバーして、大放出されちゃう前に、
逃げましょう、遠くに、ここだけが我々の生きる場所じゃないから。


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