gazou

かつて、職場の同僚に「過去に戻りたいと思うことはある?」と聞かれたことがあります。
母が病気でなかった頃には戻りたい気持ちもありますが、基本的には私、「戻りたくない」派です。
今の自分が、私の人生史上一番いろいろ知っていると思うから。

とりわけ、小学生の頃にはまったく戻りたくありません。
見た目のだささ。内面の残酷さ。つまらないことでしかつながりを確かめられない友人関係。
今だって決して聖人ではないけれど、あの頃の私は自分の居場所を守るために人を平気で傷つけていた。

でも、今日ご紹介する作品を観たり読んだりして、
ああなんか、そんな小学生時代にも牧歌的な時間があったんだよな、と思い出せました。
思い出を振り返ることで、違う色や、味わいが生まれる、ということもたしかめられました。
案外私の全部が大人になったわけじゃないんだよな、とも思いました。

全ての元小学生の皆様にお送りする、紹介記事です。

岡崎に捧ぐ

山本さほさんによる「幼馴染プライベート切り売り漫画」←これ、山本さんによるキャッチコピーです。
1990年代に子供時代を送った山本さんが、
そのころからの友人である岡崎さんとの思い出を綴っていく漫画。
noteで第一話は公開されていますんで、まずは最初の1ページを貼らせていただいてみましょうか。

okazaki1

 

私はこれを読んだだけで、心をつかまれてしまいました。
山本さんはこの作品が話題になって漫画家になられましたが、
それまで会社員をされていた方なんですね。
でも、漫画特有の「時間(もっというと、呼吸)の見せ方」のセンスが抜群であること、
この冒頭だけでも、伝わってきますよね・・・。
左ききのエレン」でも思いましたが、いい漫画かどうかって、
絵の巧拙より「間の取り方のセンス」の有無で判断されるような気がします。
特に誰でもつくったものを発表できる、今日は。映画に近いかもしれない。

このセンチメンタルな冒頭だけ貼っておいて恐縮ですが、
基本的に(特に1巻は)コメディタッチの漫画なのです。
上記は現在の山本さんと岡崎さんのシーンなのですが、
物語はぐっと時代を戻して、二人の出会った小学生の頃のエピソードから綴られます。
スケルトンのゲームボーイ、たまごっち、サイン帳、学校へ行こう。
同時代に小学生時代を過ごした人(私含む)は、きゅんとするであろうキーワード満載。
だから最初は、(いったん冒頭のシーンのことを忘れて)
「懐古的な愉しみのために読む漫画」だと思っていたんですよね。
でも、違ったんです。
ポップなキーワードとか、アイテムの隙間から見えること。
読み進めていくうちに、実はこの漫画の芯にあるのは「寂しさ」なのかもと思ったのです
(おっと、最初のページにつながってきました)。
でも彼女の描く寂しさは、なんというか、人間の情けなさへの愛しい気持ちがあふれていて、
そこがいいなと思います。

山本さんのあとがきを読んでいただくと、その意味が少し伝わるのじゃないか・・・と思うので、
一巻のあとがきから一部抜粋します。

===
世の中には子供だから気付けないことと、大人だから気付けないことがある。
〔中略〕

今思うと授業中に白目を剥いて倒れてみんなの気を引くあの子は、両親がいなくて寂し
かったんだと思う。
〔中略〕
今思うと家に遊びに行くと必ずその子のおばあちゃんが出て来て、しわしわの手で私の
手を握りながら「〇〇と遊んでくれてありがとう。ありがとう」といって感謝してくるの
は、今まであの子に友達がいなかったからだと思う。
今思うと子供の頃の私は岡崎さんの優しさに気付けないことが多かった。今でも気付け
ていない事は多いかもしれない。それでも岡崎さんは相変わらず優しい。
===

きみはいい子

呉美保監督作品の映画。
高良健吾さん演じる新米教師の岡野、尾野真千子さん演じる3歳の女児の母親・雅美、
この二人と周囲の子供たち・大人たちの日々を描いた作品です。

この映画で特に好きなキャラクターは、池脇千鶴さん演じる二児の母、陽子。
陽子は、雅美の「ママ友」です。
やや肉付きがよく、服装も素朴で、「ちょっとださい」女性として描かれています。
(たしか、池脇さんは焼き肉に通って役のための体形づくりに臨んだとどこかに書いてあったような・・・)
でも、そんなことどうだっていいって断言できる。

だって、あんなにも懐が深いんだもの。

傷ついた雅美が、時折むき出しにしてしまう攻撃性を、彼女は優しく抱きしめます。
否定するのは簡単です。でも、認めることは難しいのです。
見返りを期待しないで、持論を振りかざさないで、
目の前の相手をただ肯定することは特に難しい。
自分を正当化することや損得勘定をすることを覚えてしまった大人だったら、なおのことそうです。
だから、陽子は尊い。

本サイトの別コンテンツでは、家族の鬱病のことについて断片的にまんがにしています。
鬱病を治すためのヒントが聞きたくて、
かつて同じ苦しみを抱えていた友人に話を聞いたことがあるのですが、
この友人はカウンセリングの中で
「幼かったときの自分に、今のあなたはなんといってあげたいか」と尋ねられたとのこと。
治療の過程の中で、この作業が非常に印象に残っていると言っていました。
「うつヌケ」という本の中でも、カウンセリングのエピソードで同様の手法について語っている方がいらしたので、
現在抱えている辛さは、根っこを探っていけば、子どもの頃の辛さとつながっているのかもしれません。

子どもの頃の「私」は、すっかりいなくなってしまったような、消え去ってしまったような気がしていても、
大人の私の奥の方で、たぶん、ずっと、生きているんだと思います。

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